2012年03月25日

奥州藤原氏の登場(1/2)

【地域】
岩手県西磐井郡平泉町



【概略】
 日本の歴史が中世の入り口にさしかかった頃、奥州平泉(岩手県)に、京の都に匹敵する高度な文化を持った都市が出現しました。
 平泉の最盛期は、平安時代の後期から末期にかけての約100年間。その期間の平泉を支配したのが、奥州藤原氏です。初代、藤原清衡(清原清衡)。二代目、藤原基衡。三代目、藤原秀衡。四代目、藤原泰衡。四代に渡って平泉に高い仏教文化をもたらしました。

 中尊寺、毛越寺、観自在王院、無量光院。。。現存するものしないものを合わせると、平泉は寺だらけなのです。なぜ、修学旅行生が嫌がりそうなほどたくさんの寺が造られたのか、それは奥州藤原氏成立の歴史と大きく関わっています。
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posted by 江戸川半舗 at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 地方の歴史・伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月24日

奥州藤原氏の登場(2/2)

【地域】
岩手県西磐井郡平泉町



【概略】
 安倍貞任は死んだが、その甥が生き残った。苦心惨憺の後、彼が仏都「平泉」を創るまでの話。
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posted by 江戸川半舗 at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 地方の歴史・伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月11日

達谷窟(たっこくのいわや) の、ちょこっとメモ

ちょこっとメモは、各地を旅行した時の雑感です。
ニュースソースが古すぎる・やや曖昧、写真が全く無い、等の理由から、
ちゃんとした体裁を取らず、単なるメモとして書きなぐるにとどめました。


【場所】
岩手県の平泉町

【日時】
1990年代半ば

【注意】
超古い情報なので気を付けて!

【地図】


【メモ】
 平泉観光のメインスポットは、中尊寺、毛越寺、達谷窟です。平泉の寺2つを見て、厳美渓に行く道すがらで達谷窟を覗くのが主な観光コースのようで、つまりはそれくらい達谷窟ははずせない存在なわけです。
 レンタサイクルで平泉駅から行きました。学生の頃だったからか、それほど辛くなかったです。

 舞台作りと言われる、京都の清水寺の舞台を小さくしたような毘沙門堂は、そそり立つ岩の山肌にめり込んだ格好で建っています。達谷窟は平安時代の昔、征夷大将軍、坂上田村麻呂に抵抗した悪路王がここに籠もったと言われています。
 悪路王を破った坂上田村麻呂は、京都の清水寺を模してここに毘沙門堂を建立。京都の鞍馬寺を真似て108体の毘沙門天を祀ったそうです。二度の火災を経て毘沙門堂はなくなってしまいましたが、昭和になって再建。現存するのはそのときのものです。

 暗い堂内でおみくじをひいて大吉がでたら大喜びをして、堂を出ましょう。出たところでフと山を見上げると、岩に大きな磨崖仏が、うっすらと刻まれているのに気付きます。一説によると、前九年の役に勝利した源頼義が彫ったともいいます。風化が激しく、今にも消えてしまいそうで、危うげな感じがします。

 毘沙門堂の前庭に弁天堂と池があります(またしても池です)が、昭和時代の調査でそこから平安時代の瓦が発見されました。寺伝といい、瓦といい、源頼義といい、奥州藤原氏時代以前の古い歴史を持っているわけです。

評価
4/5:有名なわりに、そんなに広いところではなかったな〜、という記憶が残ってます。
posted by 江戸川半舗 at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょこっとメモ(東北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

観自在王院跡 の、ちょこっとメモ

ちょこっとメモは、各地を旅行した時の雑感です。
ニュースソースが古すぎる・やや曖昧、写真が全く無い、等の理由から、
ちゃんとした体裁を取らず、単なるメモとして書きなぐるにとどめました。


【場所】
岩手県の平泉町

【日時】
1990年代半ば

【注意】
超古い情報なので気を付けて!

【地図】


【メモ】
 毛越寺の寺門を出て左に折れると、隣に毛越寺庭園に輪を掛けてサッパリ何もない広場があります。観自在王院跡です。何も残ってないので拝観料は取られません。無料、無量、フリーなのです。

 観自在王院は二代藤原基衡の夫人が建てたと伝えられています。広い寺域に、その昔は多くの堂塔が立ち並んでいたといいますが、今は池(舞鶴が池)が残っているだけです。
 何も無い平らな緑の敷地に池がある様子を評して、とある人が本の中で「セントラルパークに似ている」と書いてましたが、言われてみれば、まさにそんな感じです。

 池には、巨石を積み重ねた荒磯様の石組、小じんまりした洲浜、東西に長い中島などがあって、毛越寺庭園の池に似ています。訪れる寺院、訪れる寺院、必ず池です。藤原氏の時代はこんなのが流行だったんですね。
 小阿弥陀堂の北に、基衡夫人墓と称される墓碑があるらしいのですが、見事に見逃しました。毛越寺の側にあるせいか、ここを素通りして毛越寺を観て、その後、素通りして帰ってしまう人が多い「素通りスポット」のようで、私が行ったときも散歩している地元の人が何人かいただけでした。

評価
3/5:観光するには印象薄。毛越寺とセットでどうぞ。毛越寺の庭園を見た後、さらにここを見るのは飽きるかもしれませんが。
posted by 江戸川半舗 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょこっとメモ(東北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毛越寺 の、ちょこっとメモ

ちょこっとメモは、各地を旅行した時の雑感です。
ニュースソースが古すぎる・やや曖昧、写真が全く無い、等の理由から、
ちゃんとした体裁を取らず、単なるメモとして書きなぐるにとどめました。


【場所】
岩手県の平泉町

【日時】
1990年代半ば

【注意】
超古い情報なので気を付けて!

【地図】


【メモ】
 奥州藤原氏二代目当主、藤原基衡によって建てられました。奥州藤原氏の時代には堂塔40、僧坊500という超ド級の寺院でした。中尊寺すら越えるほどの規模でしたが、その後の度重なる火災のため、無念にも全て焼失してしまいました。
 平成元年、三代目当主、藤原秀衡の800年遠忌を記念して平安様式の新本堂が建立されました。

 門の前で料金を払って中にはいると、脇に宝物殿らしきものがあります。中に入ってなんとなくそれらを見て、見たものをすぐに忘れた後、正面の新しい本堂にお参りしましょう。なんとなく京都の平安神宮を思わせる色です。平安様式だからでしょうか。分かりません。

 本堂をお参りした後、向かって右に隣接する結構大きな毛越寺庭園を散策しましょう。毛越寺は焼失してしまいましたが、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構(建物の跡)がほぼ完全な状態で保存されています。
 大泉が池は、最近整備されたらしく、往事の華やかな感じを漂わせているとか、いないとか。小舟を浮かべてその上で貴人が笛とか吹きそう(安っぽい想像)な大きさの池と、池の中に小島が浮かんでいるのが浄土庭園の特徴なのでしょうか。池の感じは無量光院跡や京都の平等院鳳凰堂の庭と似ています。ただ、平等院鳳凰堂と違って建物が残っていないので、無闇と広い感じです。

 池を巡りながら周囲の伽藍の遺構を覗いてみましょう。土台と礎石がキッチリ残っています。ただ、伽藍の遺構とやらは庭園内に何カ所も残っているので、全部見ようとすると飽きます。見るのはほどほどに抑えて下さい。
 隅の方に曲水の宴でもできそうなほどクネクネ曲がった小川というか小さな溝というかがあるのも、浄土庭園な感じなのでしょう。

 基本的に、跡がいっぱいあるので、私は想像力をかきたてられました。
 何年か前、クールジャパンとか何とかいう番組で、まさにこの浄土庭園に異国の方々をお連れして往時を偲んでもらう、というようなことをやっていました。
 偲ぶことができていた人、偲べないが理屈は分かるという人、ポカンとしてた人、色々いらっしゃいました。国柄というより、人それぞれ、という感じだったので面白かったです。偲ぶためには、当時の事情をソコソコ教えてもらうなり、自発的に吸収するなりしないと、偲べと言われても無理な話です。

評価
4/5:中尊寺よりも訪れる人が少なく、静かなところです。
posted by 江戸川半舗 at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょこっとメモ(東北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月10日

中尊寺 の、ちょこっとメモ

ちょこっとメモは、各地を旅行した時の雑感です。
ニュースソースが古すぎる・やや曖昧、写真が全く無い、等の理由から、
ちゃんとした体裁を取らず、単なるメモとして書きなぐるにとどめました。


【場所】
岩手県の平泉町

【日時】
1990年代半ば

【メモの概要】
中尊寺の様子と、少々の薀蓄を添えました。
※ただし、超古い情報なので気を付けて!

【地図】

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posted by 江戸川半舗 at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょこっとメモ(東北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高館 の、ちょこっとメモ

ちょこっとメモは、各地を旅行した時の雑感です。
ニュースソースが古すぎる・やや曖昧、写真が全く無い、等の理由から、
ちゃんとした体裁を取らず、単なるメモとして書きなぐるにとどめました。


【場所】
岩手県の平泉町

【日時】
1990年代半ば

【注意】
超古い情報なので気を付けて!

【地図】


【メモ】
 高館はその昔、源義経が兄の源頼朝に追われて平泉に落ち延びてきたとき、宿館として藤原氏から与えられた館の跡と言われています。江戸時代になって、当時の仙台藩主が住民の言い伝えをもとに、ここを義経の居館跡と特定して保存しました。

 義経の生きた平安時代末期から江戸時代までその間何百年も経っているのに住民の言い伝えを信用しても大丈夫なのかという若干の不安はさておいて、とにかく行ってみましょう。
 平泉駅から旧道を使って中尊寺に行く途中、「こっちが高館ですよ」という案内が立っています。高館というだけあって、小高い丘の上にあります。ヒィヒィいいながら坂を上って民宿の前を通り抜けると、やがて入り口が見つかります。入り口脇で入場料を払って、さらにヒィヒィいいながら目の前の階段を上りきると、眺望が急にひらけて、眼下に北上川が一望できてしまいます。

 北上川の向こうには束稲山がデンと座っています。平泉の北側にある、かつての桜の名所です。源義経と同じ頃、平安時代末期の京都で活躍した歌詠みの西行法師も、束稲山の桜を見て美しさに感動し、歌を詠んだほどです。
 「聞きもせず 束稲山の桜花 吉野の外に かかるべしとは」 (これまで奈良県吉野の桜が天下一の美しさと思っていたが、この束稲山の桜もたいしたもんだ、油断大敵だな、みたいな歌だと思ってれば大筋間違いないでしょう。)
 西行法師は、奥州藤原氏の三代当主、藤原秀衡と仲が良く、京都から遠い平泉を生涯に2度も訪れています。2度目の訪問のときは、鎌倉の源頼朝と奥州藤原氏の仲が険悪になりはじめた時期で、西行法師は朝廷の代理として、奥州藤原氏との政治的な交渉を行ったのではないかともいわれています。
 ちなみに、江戸時代の俳人、松尾芭蕉の有名な句、
 なつくさや つわものどもが ゆめのあと
 という歌は、ここからの束稲山と北上川の流れを見て詠まれたものだそうです。
 感受性の強い人はこの景色を見て世の無情に芭蕉クラスの涙をこぼし、そんなに強くない人は自然の織りなす美しい風景を堪能してください。堪能するついでに、側にベンチがありますからそこで弁当を広げてしまっても良いかもしれません。

 見飽きたら、脇にある小さな展示棟を覗いてみます。展示されている無骨な彫りの仁王像(?)なんぞは、蝦夷の力強さを思わせますが、考えすぎでしょうか。高館の近辺で発掘された兜も陳列されていますが、義経の部下が使った兜かしら、と考えるのも行き過ぎでしょうか。
 多少妄想的行き過ぎ気味に、これも見飽きたら、さらに階段を上って頂上の小さなお堂を参拝しましょう。お堂の中には、源義経の像が安置されています。人形とはいえ、なんとなく気高くも高貴な威厳があるような、、、と思うのも考えすぎでしょうか。

評価
4/5:言わずとも、義経ファンにお勧め。束稲山の眺めが◎
posted by 江戸川半舗 at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょこっとメモ(東北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無量光院跡 の、ちょこっとメモ

ちょこっとメモは、各地を旅行した時の雑感です。
ニュースソースが古すぎる・やや曖昧、写真が全く無い、等の理由から、
ちゃんとした体裁を取らず、単なるメモとして書きなぐるにとどめました。


【場所】
岩手県の平泉町

【日時】
1990年代半ば

【注意】
超古い情報なので気を付けて!

【地図】


【メモ】
 観光ガイドにはあまり載っていない場所ですが、私のお薦めです。
 想像妄想の得意な人、「私は宇宙人と話をしたことがある」というくらいの空想癖のある人に向いている場所です。

 無量光院は、奥州藤原氏三代目、藤原秀衡によって建てられました。京都宇治の平等院鳳凰堂(10円玉の裏の模様になってる寺ですね)を模して、それよりも規模を大きくして建立されたそうです。そんな立派な寺院の、「跡」です。建物は残っていません。

 平泉駅から旧道を使って中尊寺に行く途中、無量光院跡という案内が立っています。どう考えても一般人が経営している会社の敷地内だろうと思える場所を通り抜けて、その向こうを見るといきなり田圃です。「無量光院って田圃のことか?」などと見当違いな納得をしかけて周りをよく見ると、水田の周りに、かつての寺院に使った礎石が残っているのに気付くでしょう。
 もっとよく見ると、水田は、無量光院があった当時の、浄土庭園の池の形そのままであることにも気付きます。かつての池には中之島があったらしく、今も水田の真ん中に小島があるのがシブイです。

 江戸時代の俳人、松尾芭蕉は、平泉を訪れたとき今や草むらとなったかつての繁栄の跡を見て、「なつくさや つわものどもが ゆめのあと」と詠みました。ここで詠んだわけではありませんが、訪れる人もない田圃の脇で、かつて壮麗であったであろう建物の、礎石に腰掛けていると、平泉の中でも、ここが一番そのうたにマッチして感傷的な気分になります。
 田圃は、こんもりとした松林に囲まれているため、顔の向きによっては現代の建物が視界から全く消えてしまうのも、物思いにふけりやすくする原因かもしれません。

 土産物屋や休憩所のたぐいはありません。入場料なし。駐輪スペースくらいはありましたが、あくまでスペースであって、駐輪場ではありません。駐車場は、スペースすら無かったかな。

評価
5/5:これこそ平泉の夢の跡
posted by 江戸川半舗 at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょこっとメモ(東北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国民宿舎平泉荘 の、ちょこっとメモ

ちょこっとメモは、各地を旅行した時の雑感です。
ニュースソースが古すぎる・やや曖昧、写真が全く無い、等の理由から、
ちゃんとした体裁を取らず、単なるメモとして書きなぐるにとどめました。


【場所】
岩手県の平泉町

【日時】
1990年代半ば

【注意】
超古い情報なので気を付けて!

【地図】


【メモ】
 どうも平泉の町中には宿泊施設が少ないようで、宿泊先を考えるときは腕組みして悩んでしまいます。
 毛越寺の宿坊(ユースホステル)か、平泉の隣、一ノ関のホテルか、衣川を挟んだ平泉の北隣にある国民宿舎が主なものになりそうです。あ、高館の近くにも民宿が一軒あったような。

 毛越寺宿坊以外は平泉駅から結構離れています。ただ、毛越寺宿坊はたしか門限があるし冬季休業(1月のお祭りの日は除く)です。一ノ関にいたっては隣の駅です。
 平泉駅からガタガタ揺れるバスに乗ってしばらくかかりますが、国民宿舎平泉荘なら、そこそこ綺麗ですし、値段も手頃。たしか自転車もレンタルしているようでした(私は使ってないのでよく分かりませんが)。高台にあるので見晴らしも○です。見晴らし○とは、逆に言えばバス停から宿までちょっと苦しい坂を上らねばならんということでもありますが。

評価
4/5:お手頃価格で納得の施設

追記!
親切な方からコメントいただきました。どうやらこの施設は既に閉鎖されたようです。
posted by 江戸川半舗 at 10:21| Comment(2) | TrackBack(0) | ちょこっとメモ(東北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平泉観光 の、ちょこっとメモ

ちょこっとメモは、各地を旅行した時の雑感です。
ニュースソースが古すぎる・やや曖昧、写真が全く無い、等の理由から、
ちゃんとした体裁を取らず、単なるメモとして書きなぐるにとどめました。


【場所】
岩手県の平泉町

【日時】
1990年代半ば

【メモの概要】
平泉観光した時(高校3年〜大学生頃)の、「こうしておけば良かった」的な情報です。
※ただし、超古い情報なので気を付けて!

【地図】


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posted by 江戸川半舗 at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょこっとメモ(東北) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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