2015年09月13日

春日山城址を子供と一緒に大手道から登る@GW(新潟県上越市)

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【特徴】
上杉謙信の居城、春日山城を麓の大手道から登りました。子供連れて1時間半ほどでした。
【住所】
新潟県上越市大豆1743
【日付】
2015年5月
【駐車場】
ふもとの上越市埋蔵文化財センターの駐車場も含めて3ヶ所有り。合計で約100台ほどか
(ただし繁忙期は、ふもとで乗用車を降りてシャトルバスで上らなければならない)
【遊具】
無し。
【トイレ】
有り。謙信公銅像前と、山ふもとの上越市埋蔵文化財センター。
謙信公銅像前トイレから先には無い。

【レポート】
 上杉謙信は新潟県を代表する戦国大名です。若年から戦いを重ね、新潟県を統一して四隣に威を張り、織田信長をも畏怖せしめました。驚異的な戦の勝率(あれだけ戦ってるのに、生涯で1回しか負けたことがなかったらしい)だったり、生涯結婚しなかったり、家臣たちの仲の悪さに嫌気がさしてマジ出家しそうになって家臣に慌てて止められたり、自己の利益のためではなくスジが通ってるか否かで味方するしないを決めたり、超俗的なイメージがあります。
 当時衰退していた足利将軍家や関東管領の権威を助けるために、本拠から離れた京都や関東に進出した点などは、男性的な気概溢れる人物を思わせます。

 とまぁ、色々書きましたが、私は上杉謙信が大好き。上越に行くことが多い私は、春日山城址に行くのも今回が3度目です。

63号線は雪国独特の幅広さで、春日山城交差点を西に入ります。
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案内が出ています。

ここから結構奥に入ります。やがて正面に、こんもりとした小高い山が見えてきますが、それが春日山城のあった山です。春日山城址は山の中腹に駐車場をもっていますが、GWは観光客が多いので車の乗り入れは日中は禁止されています。山ふもとの上越市埋蔵文化財センター駐車場で車を置き、さかんに往復する臨時バスに乗って、山の中腹まで送ってもらうことになります。
この上越市埋蔵文化財センターは、お堅い名前ですが、上杉謙信関係の情報をジオラマなどでビジュアル良く説明してくれています。バスに乗り換えなんてメンドくさいなと思わずに、こちらに立ち寄るのもお勧めです。

そして今回の春日山城址訪問の目的は、山ふもとの大手道から歩いて天守跡に登ること。長女が学校の都合で先に帰ったので、今回のメンバーは、妻と9歳次女、7歳長男、1歳三女と私の計5人です。1時間ほどの軽いハイキングという前提で、装備はごくごく軽装。街中で見ても違和感のない外観レベルです。

大手道入口にも駐車場はあるのですが、行ってみて満車だったら「それこそ面倒」なので、センターに駐車しました。そこから歩きです。センターの謙信像。
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私は三女を抱っこしているので、写真撮影は次女にお願いしました。基本、好きに撮らせていたのですが、この像だけは何度も撮り直しをお願いしました。
青空も澄みわたり、あまりにカッコ良かったので、ブログのヘッダにしちゃいました。
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センターの隣にペタンク場があります。初めて見た。帰宅後ネットで調べたところここに12面のコートがあるそうです。大会をやってるんでしょうね。

下は、今回のルートです。(クリックすると、大きな写真で確認できます)
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赤い字の丸1が、上越埋蔵文化財センターです。ここから、2→3→4→と回って16がゴール(厳密に言うと、16から1に戻るところも歩きますけどね)。大体1時間半を見込んでいます。
ちなみにこの絵図は、地元上越市発行のパンフレット「春日山城跡めぐり」に載っていまして、近くの林泉寺や城内に無料配布されてますね。
以下のHPからお取り寄せもできるようです(私は利用してませんので、送料とか、詳細はご自身で確認お願いします)。
パンフレットお取り寄せ−上越市ホームページ

数分で大手道の入り口です。
↓赤丸2のところです。
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春のうららな日差しを浴びて、のどかな田んぼ道。当然、謙信時代そのままの道ではなく、整備されてます。
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城址には要所要所で説明が立ってます。
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この道は江戸時代に描かれた古絵図にも大手道と記載されていたそうで、昔から春日山城の正面玄関として認められていた、というような内容が書かれています。

田の奥に見える「毘」の旗。謙信の旗印ですね。
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見た時は、なんであそこに旗が立ってるのか分からず、そのままスルーしたのですが、振り返って考えれば、あれが大手道公園で、その向こうに大手池があったのでしょう。多分。
いかに軽いとはいえ、妻も健脚とは言い難く、頼みの長女も今日は不在。あまり我慢のきかない次女と長男。私は三女を抱っこして、、、というハイキングなもので少し不安で余裕がなかったんですな。
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とにかく歩きまして、意外に長男は元気です。
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その奥にも水田。
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昔、東北の平泉を訪れた際、そこは昔、奥州藤原氏という一大勢力の本拠だったわけですが、京都宇治の平等院鳳凰堂を模して造られたともいう無料光院の跡が、水田と礎石だけになっていたのを見て、無性に感動した覚えがあります。昔の有名建造物の跡って、水田になったり畑になったりすることが多いですね。

番所
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地図で言うと、赤丸の3
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写真の小山は、かつて木戸が作られていた土塁の跡だそうです。
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門があったらしいです。

そこからやや道が急になり、写真係の次女も苦しかったのでしょう。この間の写真がありません。

その先の南三の丸跡。
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先ほどの地図で言うと、赤丸の4。
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ここまで小さい段々状の畑が続いていましたが、それらは全てかつて屋敷があったそうで。
この南三の丸は、比較的広いです。
案内板によると(ちょっと分かりにくかったのですが)どうやらこの辺りに、春日山城の重要な屋敷が集まっていたと考えられています。大手道からここに向かっては門が作られ、さらにここから西の上正善寺(城の南西側のふもとです)へ向かう道にも門があり、道以外は急斜面になっていて、敵の侵入を険しく防いでいるそうです。
向こうに小さく本丸が見えます。
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ここから木々の中をを抜けて、本丸の方へ登っていきます。三女は私の抱っこに飽きたらしく、妻の背中に乗り換えです。
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ここまで、わりと楽し気に歩いていた妻も、とたんに苦しそう。
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柿崎和泉守屋敷跡。
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↓絵図で言うと写真左上、赤丸の5
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結構広いです。
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眺めも良いし。
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柿崎和泉守(かきざきいずみのかみ)は謙信の重臣です。たしか川中島の戦いでも先鋒を担っていたように思います。名前からするに、上越の北東、柿崎の領主なのでしょう。城内で唯一ハンノキが自生していて、植生から推察するに屋敷内に池あるいは水堀があったと推察されています。池だったとすると、場内で唯一池を持つ庭付きの屋敷だったということになり、いかに柿崎和泉守が重要なポジションの人物だったかが分かりますね。

もう一段上がりまして、
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上杉景勝の屋敷跡です。
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上杉景勝は、上杉謙信の甥。子供のいない謙信の跡目を継ぎました。
謙信の死後、約1年間に渡る騒動があって、終わってみれば上杉家の版図は大きく縮小し、隣国の武田を滅ぼした織田信長が大兵を以て攻め寄せるのも時間の問題、という状況でした。さすがに上杉家の滅亡を予感した手紙を茨城県の佐竹氏に送っているほどです。信長が本能寺で滅びた後、信長の部下であった豊臣秀吉と同盟を結び、豊臣政権下では五大老の一人となり、秀吉の死後は天下取りを急ぐ徳川家康に逆らって領地を4分の1にまで減らされ、と、激しい人生を送った人物です。
屋敷跡は、自然の地形に逆らわずに敷地を作ったようで、ここが春日山城の古い段階で作られたことを意味しているそうです。
まぁ、私には地形を生かしているのも生かしていないのも区別つきませんでしたけど。。。
ちなみに今のは、写真の↓赤丸6です。だいぶ上まで来ました。
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疲労著しい妻に代わって三女を抱っこします。嫌がって山中に響き渡る大声で泣く三女。
はずかしいので裏手を回ります。上の写真の赤丸7(写真右上)へ。
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井戸曲輪。上の絵図写真でいうと、赤丸7です。
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写真に載ってませんが、ちょうどこの左隣に今も井戸(というか満々と水をたたえた大穴)があります。
案内板によると、西側の富山県境ともつながる山々とレキ層(地層。小石から砂粒くらいの荒い粒で構成された地層)でつながっていて、サイフォンの原理で水が湧くとあります。
よく分かりません。良く分かりませんが、春日山よりも高い西側の山々と荒い粒の地層がつながっていて、西側の山で降った水が、地層をトンネルのようにして春日山に集まって来るという、そういうことですかね。「どのようにして水が湧く地点を調べたのか定かではないが」とありますが、全くです。城が作られる前、先に井戸があって、水場が確保できるのでここを城にした、とか。そういうことだったりしませんかね。

井戸水の原理については、今は亡き義父がかつて教えてくれたもう一つの説がありまして。井戸曲輪は、下の絵図の、細長い水色の楕円が書かれている位置にあります。
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井戸曲輪の上は、天守台と本丸のツートップ(2つのコブと言っても良いですね)があり、ツートップの間をつなぐ少しへこんだところが井戸曲輪への道になってます。天守台と本丸に降った雨水が地面に染み込み、ツートップの間(の地面の下)に集まっていきます。集まった水が井戸曲輪の方に流れていき、井戸水になる、というのです。なるほど。それも有り得る。サイフォンとか言われるよりは、素人の私にはイメージが湧きます。

なんてことを思いつつ、地面下の水の流れとは逆方向にあるいて天守台へ。
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上越の眺望良好です。
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ちなみに絵図の赤丸8が天守で、赤丸9が本丸です。
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お隣の本丸。
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眺望は、天守台の方が少し開放的なような。。。なので、眺望写真はトバします。
こんなのも立ってます。
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「能州」という文字がありますので、確か、上杉謙信が能登半島の名城、七尾城を陥落させた後、陣中で詠んだ漢詩だったと思います。
池波正太郎(だったかな?)が何かのエッセイで、上杉謙信の詩を「天才的なきらめきがある」というように高く評していました(比べて武田信玄の詩は今一つだ、とも)。私は漢詩も何も疎いので、池波先生の評を鵜呑みにして掲載させていただきます。

本丸から下って、絵図の赤丸10・11の方へ歩いて行きます。
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休憩所。
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護摩堂と諏訪堂跡。絵図の赤丸10の場所。
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毘沙門堂跡。絵図の赤丸11の場所。
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背後は糸魚川につながる春日山の西の山々です。ちなみに、春日山の裏には、日本海の軍港につながる道があるそうです。詳しくは知りませんが。
その隣、お花畑跡。絵図の赤丸12。薬草を栽培していたのでは、という説が優勢なようです。
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段々下山していきます。
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直江屋敷跡(の写真だったと思う)。直江氏は、謙信の父(長尾為影)、謙信、景勝の三代で重臣をつとめた家です。政治・軍事の両面で重要な役割を果たしました。
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お花畑から千貫門までの三段の郭が直江屋敷の跡と言われています(千貫門は絵図の赤丸14)。
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林の中に遺構が残る土塁や空堀を抜けて、赤丸15の辺り。
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春日山神社の辺りで大砲。
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これはどういう由来だったか、あまり覚えていません。
絵図の赤丸16の辺り。
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売店。自動販売機。お土産屋さんがあります。「謙信ソバ」前から気になっていますが食べたことはありません。
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「毘」の旗を背中にさして、ラムネを飲む長男。
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それを複雑な顔で見下ろす謙信公。

春日山城を堪能した後、お腹がすいたので焼き肉を。上越食道園は昔からやってる焼肉屋さんです。
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食道園の隣には「肉のたなべ」。肉の卸業者さんが運営している焼肉屋さんだと思うと、美味しい感じがします。
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【評価】
アクセス:5/5点
散歩に向いているか:5/5点
子供と遊べるか:2/5点
総合評価:5/5点


【事前に読んでおくと面白い本】
雪花の虎 1 (ビッグコミックス)
東村 アキコ
小学館 (2015-09-11)
売り上げランキング: 178

 上杉謙信に関する本は、私風情がいちいちご紹介しなくとも、ちょっと調べれば十分な情報が集まります。
その中であえて異色系な本(ていうか漫画)を、ご紹介。
 「主に泣いてます」「海月姫」の売れっ子マンガ家、東村アキコ氏が「上杉謙信は実は女性だった」という伝説を真っ向から採用して連載中の、大河ドラマ系歴史漫画です。書店で見た時は帯の「謙信女性説」に「いや〜、どうだろ。。(私は一応オーソドックスな歴史好きなもので)」と思いながら読み始めたのですが、、作者の作る舞台設定にスンナリと乗れました!
 世にある「源義経はジンギスカンになった」とか「徳川家康は実は途中で戦死してて天下を統一したのは家康の影武者だった」とか「キリストは日本に来ていた」とかいう、風変りな伝説をベースに歴史物語を作る場合は、その伝説を読者が「本当かも」と思えるように持って行くかどうかが大事な点で、これに成功すればその後のストーリーに対して読者が斜に構えたりせず、素直に読んでいけるんだな、と、この漫画を読んで(自分が実験台になって)納得しました。
 それに、もしも謙信が女性だったというならこうあって欲しいな、という私のイメージに合う格好良さ。謙信好きで、外見を含めた主人公の設定に納得できれば、(まだ1巻しか出ていませんが)2巻以降も続けられると思います。
 あと、春日山城内の様子って、上杉謙信のドラマや物語でも、あまり登場しませんね。今作では城内のお花畑や林泉寺が密度高く登場します(写実的に登場するわけではありませんが)。そういう点でも、読んでから春日山城に登ると楽しいでしょう。
 和風ジャンヌ・ダルク物語の予感すらさせるスタートの第1巻です。


【過去に訪れた時の記録】
2013年5月春日山城址
2013年5月林泉寺
林泉寺は春日山城のおとなり。少年時代の謙信が学問を修めたお寺です。


【地図】



posted by 江戸川半舗 at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ちい散歩(北信越) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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