2017年04月15日

南禅寺の朝(京都府京都市)

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【特徴】
禅寺では日本最高の格式を持つ古刹。近代化産業遺産の水路閣がステキ
【住所】
京都府京都市左京区南禅寺福地町
【日付】
2017年3月(三連休初日の土曜日)
【駐車場】
約30台。少し離れたところに同規模の駐車場有り
【遊具】
無し
【トイレ】
有り。清潔。

【レポート】
 南禅寺は鎌倉時代の後期に建てられた、京都を代表する禅宗のお寺です。
 有名な三門(お寺の正門)はJR東海のCMにも頻繁に使われ、境内の水路閣(水道橋)は夜9時のミステリ番組で頻繁に登場し、テレビで必ず1度は見たことのある景色が、普通の顔をして境内にあるのです。

 3月の春分の日と土曜日を加えて3連休になった初日、前夜に千葉を出発して朝の京都にやって来ました。これまで何度かこのやり方で入京していますが、その都度頭を悩ますのが「着いたら、さて、どこに行こうか?」ということ。
 いかに私が行きたくとも、あまりに知られていない場所ですと、「せっかく来たのに」と、連れてきた妻や子が納得しません。ある程度有名で(もしくは妻や子が興味を持っている分野に絡んで)、なおかつ、早朝から行っても観光ができる場所でなければなりません。そんな基準で、これまでは清水寺や伏見稲荷、もっと踏み込んで、貴船に行ったこともあります。今回はいよいよそんな都合の良い場所がなくなって、どうしようか、と悩んだところに思いついたのが、南禅寺なのです。

 事前に調べたところでは、南禅寺の拝観は8時40分から。京都にまでの途中のSAで朝食したりして調整しながら、第1駐車場に着いたのが8時半でした。(駐車場へのアクセスは南禅寺のサイトをご覧ください。「アクセス」のページです。丁寧です。)
 中門(というらしいです。後で知りました)
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 駐車場は、この手前側です。歩いてこの門をくぐります。普通の生活道路になっているらしく、通勤通学の方々が普通に歩いていました。
 三門。名前の由来は仏道修行にからんだいわれがあるようですが、その辺のことは南禅寺のサイトをご覧ください(ここに載せるとただのコピペになってしまう)。
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 門の上に巨大な回廊や楼を備えている三門をくぐると、日蔭になって一瞬暗くなり、
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 門を抜けると再び日の当たる場所に出て、明るくなります。
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 私は小さい頃から、門をくぐった時の明→暗→明の移り変わりが好きなのです。
 有料なので普段は上らないのですが、今回は家族連れなので門の上に上がります。
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 京都の街を見渡せます。
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 かの大盗賊、石川五右衛門もここに上って「絶景かな」と言ったという伝説の舞台になっている場所だけのことはあります。
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 しかし、現在の門は、大阪夏の陣の戦死者を弔うために藤堂高虎が再建したといいますから、豊臣秀吉や石川五右衛門の時代には存在しなかったわけですな。おそらく再建前の門も、このような巨大な門だった、ということなのでしょう。
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 回廊を1周回ってそろそろ飽きてきたので下ります。

 本坊(写真正面)への道から右手(南側)にそれて、境内のもう一つの見どころへ。
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 水路閣です。
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 明治時代、当時の日本の最新技術と苦心を積み重ねて、琵琶湖から京都へ向けて長い長い水路が引かれました。現在も京都の重要な水資源として現役続投中の「琵琶湖疏水」というものですが、水路閣は、その水道橋なのです。
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 赤レンガで作られた古くてドッシリとした佇まいが、近代化遺産らしい、雰囲気を醸し出しています。
 明治時代は、徳川幕府がなくなって、武士もなくなったわけですが、武士の出身で、工部大学校(東京大学工学部の前身の1つ)を卒業したばかりの田辺朔郎(たなべさくろう)が設計監督して、琵琶湖疏水が作られました。田辺氏は幕府滅亡による自家の衰滅にもめげず学業に励み、当時の京都府知事、北垣国道(幕末期には維新の志士でした)にその性根と能力を見込まれての採用でした。
 幾多の難工事を犠牲を払いながら乗り越え、世界の技術の進歩を随時取り入れて計画をレベルアップさせていき、お雇いの外国人技術者を主任にすえる(外国からの技術導入が始まったばかりの当時、主流のやり方だった)こともせず、まさに日本の自力で成し遂げた大事業でした。
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 明治時代の初めの京都は、政治の中心が東京に移り、天皇や貴族だけではなく京都の富裕層も一緒に東京に移ってしまい、衰退し始めていました。琵琶湖疏水は、そんな京都のための水道用水・工業用水・物資の水上輸送・水力発電による電力を供給する役目を担い、京都を近代化させる大きな推進力となったのです。

 などと熱く語りつつ、水路閣を上から眺めますと、こんな感じです。
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 もっと濁った水が流れているイメージがあったのですが、思ったよりも遥かに澄んだ水でした。去年あたりから気付いたことですが、「なんか、京都の川の水、昔よりもキレイになってない?」と思っています。「昔の記憶は美しい」の逆バージョンです。昔は川のことなんか気にしてなかったからなのか。。。
 ちなみに、疏水沿いは散策路があるのですが、この日は補強工事中ということで、立ち入れませんでした。

 最後に本堂へ参拝して帰ります。
 途中、本坊左手の玄関が立派だったので、写真を1枚。
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 唐破風屋根の大玄関。後から南禅寺のサイトを見て知りましたが、特別な行事の場合だけ、使うそうです。
 これだけコケが美しく盛り上がっていると、歩くのに気を使いますね。

 子供たちの集中力のことも考えて、お寺の内部の拝観はまったくしませんでした。一通りまわって1時間強でした。


【感想】
アクセス:5/5点(駐車場が空いている時間だったら、楽なもんです)
散歩に向いているか:5/5点(中門から本坊への道路脇の溝が、ちょっとした、せせらぎになっています。夏は小さなカニがいたりしまして、ほほえましいのです)
子供と遊べるか:0/5点(宗教施設ですので)
総合評価:5/5点(三門が好き)


【地図】



【関連する施設へ行った時の記録】
琵琶湖疏水記念館(2011年8月)
わりと南禅寺から近いです。


【他サイト】
南禅寺のページ


posted by 江戸川半舗 at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ちい散歩(京都) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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